最高裁判所第三小法廷 昭和62年(行ツ)109号 判決 1991年3月19日
上告人
デニソン・マニュファクチュアリング・カンパニー
右代表者
エフ・ジェラルド・マーサー
右訴訟代理人弁護士
久保田穰
増井和夫
同弁理士
岡部正夫
加藤一男
被上告人
株式会社日本バノック
右代表者代表取締役
大竹三郎
右訴訟代理人弁護士
中村治嵩
同弁理士
小川信一
野口賢照
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人久保田穰、同増井和夫、同岡部正夫、同加藤一男の上告理由について
一原審は、本件特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載が「目的物Oと係合させられるように各々適合させられた複数の一緒に固定された取付け具から成るクリップであって、該取付け具の各々が目的物貫通部分2と、拡大部分4と、該両部分を結合している該貫通部分2から伸長した細長い区分材6と、該貫通部分2を相互に平行的に間隔を置いて結合している切断されうる部材8、10とから成るクリップにおいて、該拡大部分間に介在してそれらを結合している容易に切断されうる固定部材22を備え、該固定部材は該切断されうる部材より隣接する該拡大部分がねじり力により相互に手作業で分離されうる程充分に弱いことを特徴とするクリップ」であること等を基礎として、右特許請求の範囲の記載どおりに本件発明の要旨を認定した上で、(一) 本件明細書の発明の詳細な説明の項の記載を参酌すると、固定部材は各取付部材の拡大部分間に介在してそれらを結合するものであるが、取付機具(ガン)を用いて目的物に取付具を取り付ける際の人の手による一連の連続的動作によって生じるねじり力等の力によって容易に切断し得る程度に弱いものを指すものと認められ、したがって、本件発明の特許請求の範囲にいう固定部材の構成は叙上認定の趣旨に解すべきであり、そのほかには、その素材、形状、寸法等についてこれを具体的に限定する記載はないから、右要件を具備するものであれば、すべて固定部材に包含される、(二) 本件明細書の発明の詳細な説明の項及び図面には、固定部材として固化した接着剤(接着層)を使用した実施例に関する記載がある、(三) 接着層の果す作用効果は他の固定部材と差異がないとして、本件発明の特許請求の範囲の「固定部材」との記載には固化した接着剤(接着層)を含むものであると認定判断した。
二ところで、上告代理人提出の特許庁昭和五八年審判第六九〇二号事件審決謄本及び本件記録によれば、本件特許については、上告人の訂正審判請求に基づき、原審口頭弁論終結後の昭和六二年三月三一日、本件明細書及び図面から接着層に関する第12図及び第13図を削除し、併せて発明の詳細な説明の右図面に関連する説明部分を削除する旨の訂正を、特許法一二六条一項三号の明瞭でない記載の釈明として認める旨の審決がされ、右審決謄本が同年五月二〇日上告人に送達され、右審決が確定したことが認められる。右審決には、明瞭でない記載の釈明に相当するものとして上告人の申立てを認める旨の記載があるが、上告人は明瞭でない記載の釈明又は特許請求の範囲の減縮としての訂正審判を申し立てたものであり、また、右審決も、同条一項一号の特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正審判請求を認めるための要件である同条三項に規定する訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものであったか否かについても検討を加えた上で、上告人の本件訂正審判請求が右要件を具備している旨の判断をもしている。
原審は、本件明細書の接着剤(接着層)に関する発明の詳細な説明の項の記載や図面などを参酌して、固定部材には接着剤(接着層)が含まれるものと認定判断したものであり、原審の右認定判断は、特許請求の範囲の記載文言の技術的意義が一義的に明確とはいえない場合の発明の要旨の認定の手法によったものとして首肯し得るものであるが、訂正を認容する審決の確定により、特許請求の範囲の記載文言自体が訂正されたものではないけれども、接着剤(接着層)に関する記載がすべて明細書及び図面から削除されたことによって、出願時に遡って、本件明細書の特許請求の範囲の固定部材に接着剤(接着層)が含まれると解釈して本件発明の要旨を認定する余地はなくなったものと解するのが相当である。
三したがって、本件特許につき訂正を認容する審決が確定したことにより、本件発明の特許請求の範囲の固定部材の構成は、出願の当初に遡ってこれに接着剤(接着層)を含まないものに減縮されたものと認められるから、原判決の基礎となった行政処分は後の行政処分により変更されたものであり、原判決には民訴法四二〇条一項八号所定の事由が存するといわなければならない。このような場合には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があったものとして原判決を破棄し、更に審理を尽くさせるため事件を原審に差し戻すのが相当である(最高裁昭和五八年(行ツ)第一二四号同六〇年五月二八日第三小法廷判決・裁判集民事一四五号七三頁参照)。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)
上告代理人久保田穰、同増井和夫、同岡部正夫、同加藤一男の上告理由
原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。
一 原審手続の概要
上告人は登録第九五〇三四三号特許(以下「本件特許」という)の特許権者であるが、本件特許を無効とした特許庁昭和五四年審判第一一九九七号事件審決(以下「本件審決」という)の取消を東京高等裁判所に求めたところ、同裁判所は本件審決に於ける無効理由を正当と認め、上告人の取消請求を棄却した。
二 本件特許の訂正審決(上告理由の要約)
ところで、原審の口頭弁論終結の後である昭和六二年三月三一日、かねて原告が請求していた本件特許に関する訂正審判事件(昭和五八年審判第六九〇二号)につき、特許庁は訂正を許す旨の審決(以下「訂正審決」という)をし、その審決謄本は同年五月二〇日上告人に送達された(訂正審決謄本を甲第一一号証、訂正異議の決定を甲第一二号証として提出する)。
右訂正審決は、後述の通り、本件特許明細書から無効審決の原因となった接着剤の使用に関する記載を総て削除したものである。
これにより、原判決並びに本件審決の基礎となった本件特許の内容が変更されたのであるから、原判決には民訴法第四二〇条第一項第八号所定の事由が存し、このような場合には、原判決につき判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があることに帰し、原判決の破棄されるべきことは御庁の判例とするところである(御庁昭和五三年(行ツ)第四七号、昭和五四年四月一三日判決)。
本件上告理由は右に尽きる。以下、訂正審決が原判決の結論に重大な影響を及ぼすことを具体的に説明する。
三 訂正前の本件特許発明と本件審決の認定した特許無効理由
(一) 本件特許発明
本件特許の特許請求の範囲の記載は次の通りである(読みやすいように分節して記載した)。
「(1) 目的物Oと係合させられるように各々適合させられた複数の一緒に固定された取付け具から成るクリップであって、
(2) 該取付け具の各々が
目的物貫通部分2と、
拡大部分4と、
該両部分を結合している該貫通部分2から伸張した細長い区分材6と、
該貫通部分2を相互に平行的に間隔を置いて結合している切断されうる部材8、10と
から成るクリップにおいて、
(3) 該拡大部分間に介在してそれらを結合している容易に切断されうる固定部材22を備え、該固定部材は該切断されうる部材より隣接する該拡大部分がねじり力により相互に手操作で分離されうる程充分に弱いことを特徴とする
クリップ」
本件特許発明は、図面を参照すると理解が容易になるので、原判決の別紙図面(一)乃至(三)を本上告理由書にも添付し、以下これを引用して説明する。図面(一)のFIG.5に於て赤く着色した部分が一本の「取付け具」を意味する。それを複数並べ、一方の端を長い棒8に短い棒10で結合して固定し、他方の端は拡大部分という板状部分4の一部を細いプラスチックフィラメント(図面(一)FIG.6の22の部分:26、28は22の構成部分を示す)で結合し一体化したのが「クリップ」である。
この取付け具は、衣類に値札を取付ける等の用途に広く使用されているものである。即ち、値札と衣類を重ねて置き、取付け具の細い棒状部分である貫通部分2を図面(一)FIG.1、FIG.2のように特殊な取付装置(図面(二)FIG.6、FIG.7のもの、原判決では「ガン」と記載している)を使用して突通す。そうすると、貫通部分2とそれに結合した細長い区分材6の途中までが値札と衣類を貫通し、その後貫通部分2と細長い区分材がT字型となって、衣類及び値札を貫通部分2と拡大部分4の間に保持する(図面(一)FIG.3、FIG.4参照)。機械的に連続的に取付作業を行うために、複数の取付具を一緒にしたクリップが必要になるのである。なお、特許請求の範囲の分節(2)に於て貫通部分2を平行的に間隔を於て配置するように記載しているのは、取付装置(ガン)が貫通部分を歯車(図面(二)FIG.7の50)で送るので、歯車との噛み合いのために間隔が必要だからである。
このような取付具(単体)自体は知られており、又、このような取付具の貫通部分2の側のみを図面(一)FIG.5の8、10のような手段により結合しておくことも知られていた。
しかし、そのような公知のクリップは、拡大部分4が相互に結合されていないために、使用前或いは使用中に、細長い区分材6及び拡大部分4よりなる部分がもつれて絡み合い、取付作業中にクリップから個々の取付具を分離するのに困難を生じていた。
そこで、拡大部分4を予め結合し固定しておくようにしたのが本件発明である。ところで貫通部分2側の結合手段10は、取付装置の構造上機械的に切断するので、その構成にあまり問題はないが、拡大部分4の結合手段は図面(一)FIG.1乃至FIG.4からわかるように機械的に切断することはできない。そこで、もし拡大部分4の固定手段の切断に手間がかかるようであれば、もつれを無くしても別段技術的改良としての意味はない。切断の手間かもつれをとく手間か、どちらかが必要になるからである。かと言って、あまり弱い固定手段を使用しては、使用前に切断して結局もつれを生じてしまう。従って、本件発明の目的達成には、ただ拡大部分4を結合すれば解決するというものではなかった。
そこで、本件発明の発明者は本件取付け具の取付操作を分析し、図面(一)FIG.2からFIG.4に至る取付操作に於て拡大部分の固定手段には自然にねじり力が作用することに着目し、当該固定手段を(引張力には比較的強いが)手作業で加えられるねじり力に対しては容易に切断される材料で構成することに想到し、そのような材料として細いプラスチックフィラメントが適当であることを見出したことにより、本件発明を完成したのである。これが本件発明の核心をなす特許請求の範囲分節(3)の意味である。
ところで、本件特許明細書の実施例は細いプラスチックフィラメントによる固定の態様をいくつか説明しているが、その外に接着剤により拡大部分を接着しておく態様も記載されていた(図面(一)FIG.12、FIG.13)。しかし、前記の通り本件特許の特許請求の範囲には接着剤を使用する旨の記載はない。しかも、通常の日本語の表現として接着剤による接着層を固定「部材」とは言わないし、又、接着層を「切断」するとも言わない(接着層は剥離するものである)。即ち、接着剤による拡大部分の結合も本件特許の実施例として見ることは、本件日本特許の特許請求の範囲の文言には相応しくないのであるが、優先権主張に関し外国出願の明細書を基礎にしたため、このような態様も本件特許の実施例のごとく紛れ込んだのである。
(二) 本件審決の認定した無効理由
本件審決は実用新案昭和四五年公告第三〇三六三合公報(以下「引用例」という)を基本的な公知文献として引用した。引用例には単体の取付具を複数重ね合わせ、その両端を接着材により接着して一体化した「ピン結集体」が開示されていた(別紙図面(三)のものである)。
本件審決は、拡大部分の固定手段に関し「本件特許発明の実施例では接着剤をも含む」と認定した(本件審決――甲第一号証――四丁表八〜九行)うえで、固定部材を本件特許発明のように拡大部分間に介在させるか、引用例のように止め片の縁部に介在させるかは、単なる設計変更にすぎないと認定した。
即ち、本件発明と引用例の構成上の相違を単なる接着剤を塗る位置の相違の問題として判断したのである。
本件審決は、右の外、本件発明の貫通部分2は間隔を置いて結合されているが引用例の対応部分は引き揃えて接着されている点、本件発明の固定部材はねじり力により相互に手操作で分離される程充分に弱いのに対し引用例の止め片縁部の接着はどの程度の力で分離されるか明記されていない点、の二点を相違点として検討したが何れも本件発明の進歩性の根拠にはならないと判断した。
四 原判決の判断
(一) 原判決も又、本件特許明細書に記載された接着剤を使用する記載(別紙図面(一)FIG.12及びFIG.13とこれに関連する説明)が存在することを根拠として、本件特許の特許請求の範囲に於ける「固定部材」には接着層を含むものと解するを相当と認めた(原判決五〇丁表最終行乃至五二丁表二行)。他方、引用例に関しては、「特に、突入杆兼止め杆2及び止め片3の両縁部を接着剤で接着するという構成を採用したことにより、従来その一端部で連結した無数のピン単体を連続的に製造したものに比べて、非連結端部側のピン単体相互のもつれを絶無にする等の効果を奏し得た」と認定している(原判決四三丁表四乃至八行)。
(二) そして、本件発明と引用例の相違点として、本件審決と同じく次の三点を採り上げた(五五丁裏八行乃至五六丁表最終行)。
(1) 貫通部分の結合が、本件発明では相互に平行的に間隔を置いてなされているが、引用例では引き揃えて接着している点。
(2) 固定部材が、本件発明では拡大部分間に介在しているか、引用例では縁部を接着している点。
(3) 固定部材の切断につき、本件発明ではねじり力により手操作で分離される程充分に弱いことが記載されているが、引用例ではどの程度の力で切断するか不明である点。
右の各点に関する判断に於ても、原判決は、審決とほとんど同様の理由により発明の進歩性の根拠にはならないとした。
右(1)に関する判断は、訂正審決と特に関係するものではない。しかし、(2)、(3)に関する判断は、本件発明の固定部材として接着剤を使用した場合が含まれるという原判決の前記認定がその前提をなしている。
(三) 即ち、右(2)の固定部材の相違の点に関しては、「各々の拡大部分4或いは止め片3を固定部材で結合する際、固定部材を本件発明のクリップのように拡大部分4間に介在させるようにしても、引用例記載のピン結集体のように止め片3の縁部に介在させるようにしても、その奏する機能に於て格別差異がないことは前認定のとおりであるから、右の違いは単なる設計変更にすぎないものと認められる」(原判決五八丁裏三乃至九行)と簡単に片付けている。比較の対象が図面(一)FIG.12の接着剤で拡大部分の面を接着した態様と、引用例の拡大部分上縁部を接着した態様であれば、確かに、このような簡単に言うこともできるかも知れない。その前提を採れば、本件発明と引用例の固定部材の構成の差異は単なる接着剤を配置する位置の相違の問題に過ぎないからである。
(四) 前記(3)の固定部材の切断の容易さに関する相違点に関しては、原判決は、引用例のピン結集体の使用方法を適宜推定して「ピン単体Aの止め片3は、取付機具の機械的な力ではなく、取付機具を引戻す際に接着部にかかるねじり力等の力によって、隣のピン単体Aの止め片3と分離されるものと推認することができる」(五三丁表九行以下、特に五四丁表九行乃至同丁裏一行)と述べ、この推認を根拠に「前認定の通り、引用例には、本件発明の固定部材に相当する接着剤を取付機具の取付動作によって生じるねじり力等を利用して分離するという本件発明と同一の技術思想が示唆されているのであるから、本件発明の固定部材の結合の強さを手操作により分離され得る程充分に弱くすることは、引用例に示唆された右の技術的思想から容易になしえたものと認められる。」と、これ又簡単に結論を下した(五九丁裏三行以下、特に同六行乃至六〇丁表一行)。
原判決が認定しているのは、引用例の接着剤も手操作で分離される筈だということに過ぎない。しかし、本件発明は、原判決の正しく認定するように(四七丁表八行乃至四八頁裏三行)、単に手操作で分離されるような固定部材を提供するものではなく、取付操作の過程で生ずるねじり力によって特に容易に切断されるような固定部材を対象としているのである。従って、原判決の如く、引用例のものも手操作で分離される筈だというだけでは、本件発明と引用例の相違点につき判断したことにはならないのである。このような判断も、本件発明の範囲に図面(一)FIG.12のような接着剤による固定の態様が含まれると解釈される限りに於ては、両者とも接着層を分離するのであるから、切断の容易性に関し引用例の接着剤との相違は認められないとして合理化されるかも知れない。
しかし、本件発明の基本的な実施態様である図面(一)FIG.6等と引用例の比較を試みれば、本件発明の固定部材は細く短少なプラスチックフィラメントであるから、例えばねじり力によって容易にねじれるが、引用例の巾広い接着層は簡単にねじれないという重大な相違のあることが一見して明らかである。原判決はこのようなプラスチックフィラメントを固定部材とした場合と、引用例の比較を全くしていない。
五 訂正審決の意義
(一) 上告人は、本件審決に接し、その論理には納得し難いものの、本件特許権を維持するためには本件特許発明の技術的範囲に固定部材が接着剤である場合は含まれないことを明確にすることが、無効審決の速やかな取消のために有効であると考え、本件特許明細書及び図面から、接着剤の使用に関する総ての記載を削除する訂正審判を請求した。而して、前記のとおり、この訂正審判の申立は認められ、昭和六二年五月二〇日に審決謄本が原告に送達されたことにより確定した。
この結果、原判決が、本件発明の固定部材として接着剤が含まれることを認定するために引用した明細書の記載は総て出願当初から存在しないことになった。具体的には四七丁裏終りから二乃至一行に引用されている「比較的弱めな接着剤層も同じくこの特性を有している」との記載、五一丁表四行乃至裏一行に引用の実施例第一二図、一三図(図面(一)FIG.12、FIG.13)に関する記載、四九丁裏一乃至三行、五一丁表一乃至二行等に引用されている実施例第一二図、一三図は削除されたのである。
原判決も認定するとおり(五〇丁裏四乃至一〇行)、本件特許の特許請求の範囲の記載の文理解釈に於ては「固定部材」に接着剤による接着層を含まないと解するのが自然である。それにも拘らず、接着層が含まれると認定されたのは、ひとえに、明細書中に接着剤による接着がプラスチックフィラメントによる固定と同様の作用効果を果すかの如き記載があったためである。このような記載が明細書及び図面から総て削除された以上、特許請求の範囲は文言の普通の意味に従って解釈されるのであり、最早固定部材として接着剤の使用されている態様がこれに含まれないことは疑問の余地がない。又、以上のような訂正記録の存在により、今後如何なる場合に於ても、本件特許の権利範囲に固定部材が接着剤である場合を含むかのように解釈されることはあり得ない。
これら訂正の効果は訂正審決が明示的に認めているところである(<証拠>)。
(二) 訂正された本件発明と引用例を比較するに於ては、接着剤を使用する引用例の結合手段と、接着剤を使用せずプラスチックの一体成形により細いフィラメントで拡大部分間を固定する本件発明の固定手段(別紙図面(一)FIG.5乃至FIG.8参照)とを、その目的、作用、効果につき比較検討しなければならない。具体的には、構成それ自体の相違、製造上の相違、クリップのもつれを防止する作用効果、並びにクリップ使用時に於ける固定部材切断の態様と作用効果を比較検討し、引用例の構成(接着剤)から本件発明の構成(ねじり力により切断しやすい細いプラスチックフィラメント)を想到することの難易性を判断しなければならないのである。
しかるに、本件審決並びに原判決に於ては、前述のように固定部材が接着剤を含むことを前提とし、固定部材(即ち接着剤)の位置が拡大部分間に介在しているか縁部を接着しているかの相違点について判断しているにすぎず、右のような本件特許発明の固定部材が接着剤でない場合については何等の判断もしていない。
即ち、訂正審決の確定により、本件審決は本件特許発明の要旨の認定を誤り引用例との相違点を看過したことに帰すから取消を免れないのに、原判決も又、特許発明の要旨認定を誤り審決の誤りを看過したことに帰するから破棄されなければならないのである。
(三) 訂正審決確定の結果、特許無効の審決に於て判断していない特許発明と引用例の相違点を生じたとき
は、そのような相違点の影響に関しては常に審決を取り消して特許庁に再度判断をなさしめるのが審決取消訴訟の正当な審理方法であり、従って、そのような相違点の発生は審決取消訴訟に対する上告審に於ても原判決につき結論に影響を及ぼす重大な法令違反があったものとして扱われなければならない。
(四) 右は当然の法理であると原告は信ずるものであるが、本件原判決中に訂正審決の確定が判決の結論に影響しないかのごとき記載が見られるので、念の為、この点につき検討をしておきたい。
即ち、原判決五二丁表八行乃至裏五行には、「また、原告が、本件発明の願書添付の図面から第一二図及び第一三図を削除し、併わせて明細書中これに関する説明部分を削除する旨の訂正の審判を請求し、訂正公告がなされたが、訂正異議申立がなされ、現在係争中であることは、当事者間に争いがないが、仮に、右訂正が認められた場合においても、前示接着層の果たす作用に徴すると、このことは、本件発明に於ける固定部材に関する前示判断を左右するものと解することはできない」と記載されている。
右引用中の「固定部材に関する前示判断」とは、五〇丁裏四行乃至五二丁表二行に於て、本件特許明細書中の接着剤に関する記載を引用しつつ、「本件発明に於ける固定部材は接着層を含むものと解するを相当とし」と述べている箇所を意味するものであろう。しかし、そもそも本件特許明細書中に接着剤による固定手段も本件発明の固定部材の作用効果を持ち得るかのごとき記載が存することを根拠として、特許発明の固定部材に接着層が含まれると認定しておきながら、接着剤に関する記載が削除された明細書に基づいても同じ結論に達し得るというのは明らかな論理矛盾である。訂正審決の効果は出願時に遡及し、接着剤に関する記載は出願当初から存在しなかったものと看做されるから、訂正後に於ては原判決五〇丁裏四行以下の如く明細書の記載を引用することができなくなるのである。
例えば、原判決は、「前示接着層の果す作用効果に徴すると」という(五二丁裏二乃至三行)が、ここでいう「前示」部分は五一丁表二行乃至裏六行に於て本件特許明細書の記載を引用しつつ「特に、接着層の果す作用効果が他の固定部材と差異がないこと」と述べた部分をさすものと理解される。しかし、このような明細書の記載は最早存在せず、それは即ち、接着層が本件発明の固定部材と同様の作用効果を果し得ることを認定する根拠が存在しないことを意味するのである。
又、原審に於て上告人は、訂正審判請求中であるから審理を中止されたい旨の主張をし、訂正審判係属の事実を証明する限度で同審判に関する証拠を提出したが、本件訂正の意味及び効果に関しては訂正審決がなされていない以上審決取消訴訟の審理対象とはなり得ず、従って訂正の効果につき実質的な主張立証はなされなかった。
以上の次第であるから、本件訂正審決が原判決の結論に影響を及ぼす法令違反をもたらすか否かにつき、前記原判決五二丁表八行乃至裏五行の記載は何等の意味をも持ち得ないものである。
現に、訂正審決は固定部材として接着剤が含まれなくなる補正の結果、本件発明は特許出願の際独立して特許を受けることができるものであることを認定し、又、訂正審判に関する異議決定(<証拠>)においても特許庁は、訂正の結果、本件発明の固定部材には接着剤が含まれず、そうすると引用例ではピン単体を引き揃えて接着する工程が必要であるのに、本件発明にはそのような工程が必要ない等の相違点を生ずるから、訂正後の本件発明は引用例その他甲号証に対し進歩性を有し特許をうけることができるものであることを認めている。
特許庁の判断が右の如くである技術的争点に関し、無効審決に関する取消訴訟の裁判所が訂正の効果につき実質的な審理を経ないまま特許庁の判断を先取りするような判断をするのは甚だ妥当性を欠くと言わなければならない。
勿論、訂正無効の審判及びそれに対する審決取消訴訟を経て、最終的に本件特許が訂正にも拘らず無効とされることも論理的には可能である。しかし、そのような結論は訂正無効審判以下の手続に於て訂正の効果につき十分な攻撃防御が尽くされた結果としてのみ下されるべきものである。
仮に、本件上告が棄却された場合には、上告人は訂正審決によって当然与えられるべき、東京高等裁判所に於て訂正された特許明細書に基づき本件特許の進歩性を主張立証する機会を総て奪われることになるのであって、そのような結果が著しく正義に反することは論を俟たない。
以上の理由により、原判決を速やかに破棄し、東京高等裁判所に差戻されるよう、上告を申立てた次第である。